この写真の茶釜は、江戸時代末期すし清が茶店だった頃に使われていた茶釜です。
ブログのタイトルは、オチャラケてしまいましたが、歴史のある一品です。
接待と記されてありますが、よく見ると「接」の字が「攝」になっているのも、歴史を
物語っています。
この茶釜で、東海道を歩く旅人にお茶を振舞ってもてなしていたのでしょう。
もしかして弥次さんも喜多さんも?って考えると夢が膨らみます。
こちらの茶釜は、すし清の大広間に鎮座していますので、お越しの際は是非
ご覧になって下さい。
こんにちは 安達@朝日の蔵元 です。素敵なサイトをオープンなさいましたね。今後ともよろしくお願いいたします。すみずみまで拝見して すし清さまについてますます詳しく知ることができております。(^_^)/~
安達様
いつもお世話になっております。 コメント有難うございます。 今後とも宜しくお願い致します。
確かに歴史的に考えると、かなり値打ちのある一品だと拝見致します。 その昔、東海道を歩く旅人をもてなしていたと考えると 若女将さんのおっしゃる通り、夢も膨らみますね。 その当時は東海道も町屋川を渡る木の橋がかかっていたらしいのですが 現在、国道の橋がかかっており、昔のようにそのまま東海道を歩けないので 残念で仕方ありません。 今でも東海道を歩く旅をされている方もいらっしゃると聞きますので 是非、東海道から真っ直ぐに渡れる橋をかけて欲しいものだと思います。 今の日本は、あれだけの大きな悲しい出来事があったので、そんな悠長な 事を考えていては申し訳ないのですが桑名という街は桑名で盛り上げていく べきだと私は考えます。 この前も私事ではありますが同じ街に住む方の御通夜に行く事があったのですが その時のお坊さんの法話で 「今、日本は大きな被害を受け弱っています。確かに皆が一丸となって 助け合い励まし合いながら頑張って一日でも早い復興を望みます。 でも、実際この辺に住んでいて被害にあっていないので、他人事だと 思っていませんか?それは実際に自分や家族や親戚、知り合いが被害にあい 悲しみにくれていないからではないですか?大変だなぁと思っていても 所詮、他人事と思っていませんか?」 確かに、そのお坊さんのおっしゃる通りです。 節電や節約には取り組んでいくべきでしょう。 救援物資や募金活動にも積極的に自分からやるべきでしょう。 だけど、いくら日本がどん底の時でも私達の街までが落ち込んでいた所で 何かが変わるものでもありません。 東海道の橋をかける夢への実現は叶えて欲しいものなので それは日本としての歴史的遺産であるのですから、それはそれで残していくべきもので あり、また一人でも多くの方に東海道の素晴らしさを知ってもらうべきものだと 私は考えます。 かなり、話が大きくなってしまいましたが、若女将さん是非桑名を もっと盛り上げる為に頑張って下さい。 あなた一人だけではなく、すし清さんをご利用されているお客さんも 一緒になって頑張っていかれます事を切に願うばかりです。
私の勝手な願いや考えを書いてしまいましたが しかも長文になってしまい申し訳ありません。 また、この茶釜以外にも歴史的に価値のある物を拝見させて頂きたく思います。
謎の骨董屋様
コメント有難うございます。 その昔、東海道で橋が架かっていたのは町屋橋だけだったと 聞いております。 先々代に聞いた話によると、昭和20年に旧町屋橋が取り壊されたそうです。 昨今では、東海道を歩く旅人が増えつつありますので、歩行者専用の町屋橋が現存 していれば、さぞかし喜ばれたことでしょう。 桑名の観光の為にも、町屋橋が再現できるといいですね。 夢の実現に一緒に頑張ってくださいね!
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こんにちは 安達@朝日の蔵元 です。素敵なサイトをオープンなさいましたね。今後ともよろしくお願いいたします。すみずみまで拝見して すし清さまについてますます詳しく知ることができております。(^_^)/~
安達様
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確かに歴史的に考えると、かなり値打ちのある一品だと拝見致します。
その昔、東海道を歩く旅人をもてなしていたと考えると
若女将さんのおっしゃる通り、夢も膨らみますね。
その当時は東海道も町屋川を渡る木の橋がかかっていたらしいのですが
現在、国道の橋がかかっており、昔のようにそのまま東海道を歩けないので
残念で仕方ありません。
今でも東海道を歩く旅をされている方もいらっしゃると聞きますので
是非、東海道から真っ直ぐに渡れる橋をかけて欲しいものだと思います。
今の日本は、あれだけの大きな悲しい出来事があったので、そんな悠長な
事を考えていては申し訳ないのですが桑名という街は桑名で盛り上げていく
べきだと私は考えます。
この前も私事ではありますが同じ街に住む方の御通夜に行く事があったのですが
その時のお坊さんの法話で
「今、日本は大きな被害を受け弱っています。確かに皆が一丸となって
助け合い励まし合いながら頑張って一日でも早い復興を望みます。
でも、実際この辺に住んでいて被害にあっていないので、他人事だと
思っていませんか?それは実際に自分や家族や親戚、知り合いが被害にあい
悲しみにくれていないからではないですか?大変だなぁと思っていても
所詮、他人事と思っていませんか?」
確かに、そのお坊さんのおっしゃる通りです。
節電や節約には取り組んでいくべきでしょう。
救援物資や募金活動にも積極的に自分からやるべきでしょう。
だけど、いくら日本がどん底の時でも私達の街までが落ち込んでいた所で
何かが変わるものでもありません。
東海道の橋をかける夢への実現は叶えて欲しいものなので
それは日本としての歴史的遺産であるのですから、それはそれで残していくべきもので
あり、また一人でも多くの方に東海道の素晴らしさを知ってもらうべきものだと
私は考えます。
かなり、話が大きくなってしまいましたが、若女将さん是非桑名を
もっと盛り上げる為に頑張って下さい。
あなた一人だけではなく、すし清さんをご利用されているお客さんも
一緒になって頑張っていかれます事を切に願うばかりです。
私の勝手な願いや考えを書いてしまいましたが
しかも長文になってしまい申し訳ありません。
また、この茶釜以外にも歴史的に価値のある物を拝見させて頂きたく思います。
謎の骨董屋様
コメント有難うございます。
その昔、東海道で橋が架かっていたのは町屋橋だけだったと
聞いております。
先々代に聞いた話によると、昭和20年に旧町屋橋が取り壊されたそうです。
昨今では、東海道を歩く旅人が増えつつありますので、歩行者専用の町屋橋が現存
していれば、さぞかし喜ばれたことでしょう。
桑名の観光の為にも、町屋橋が再現できるといいですね。
夢の実現に一緒に頑張ってくださいね!